小浜島とゴッホとアラキング

2019年12月26日

今年も大変お世話になりました。 ゴッホとアラキングです。 先日、上野のゴッホ展に行ってきました。 初めてゴッホの本物の絵を見ました。 絵の具の厚みがあり、本物の絵は印刷とは全く違うものでした。 絵の具の厚みのお陰で3次元で絵を感じました。 稚拙ですが感じたことを・・・ 光には色が無い。影にも音にも色は無い。 つまり、それが対象に当たると 色に変わり認識という形で頭の中に入ることが出来る しかしゴッホは光の色、影の色、音の色を絵の具とタッチで表現している ように感じた。 否、感じたのではない、まるで体が絵の中に入って行き絵の内側から体現している 感覚を体験した。光の色などを「見た」のだ。 ゴッホの絵には自然のリズムそのものが映っており、気が付くと 自分の体と感覚と絵が溶けて、絵の中に置いて行かれそうに なりそうな気にもなった。 美しいものは美しく感じるのが良いのであり、 美しいものが本来人間は好きなのだと思う。 ・・・と感じながら、頭がホワンホワンしながら小浜島に帰ってきました。 しばらくは、日常に戻るのに時間がかかり、ゴッホのことは忘れてしまっていました。 しかし、昨日、はいむるぶしから自宅に帰る時に「あっ」とゴッホのことを 思い出す瞬間がありました それがこの夕日です。 僕が持っている稚拙な携帯カメラなので何も伝わらないかもしれませんが 夕日は夕日のまま、夕日の光が作り出す色、夕日の影が作りだす色、 そして風の音の色。 山や海の息吹が、体や感覚に溶け入ってくる。山や海が溶けてるのか こちらが溶けるのかは僕にはわからないけど。一つになりたいと思った。 ・・・・・あの時と一緒だ。 ゴッホがこの夕日を描いたらどんな絵を描くのだろう。 絶対に叶わない夢ではあるが、僕はまるでゴッホが書いた絵の中に いるつもりでバイクを走らせた。 ニヤニヤしていた。ウキウキしていた。 あの時と一緒だった。 小浜島は美しい。 小浜島は美しいと思う。 この感覚だけは忘れたくないと強く思った。 しかし家について可愛い妻と子供たちと 腹いっぱいご飯を食べたら わからなくなってしまっていた。 瞬間、瞬間、瞬間を生きているのだなぁ。