漂流者と小浜人

2013年12月11日

皆さんこんにちは。ある意味漂流してきた
アラキングです。

さて、僕は最近小浜島の伝統・文化・伝説について
色々調べているので、今日も面白い話を一つご紹介。

小浜島は船で島と島を結んでいるのは今も変わりないのですが、
昔は遠くの唐(中国大陸にあった国の名前)からも小浜島に
船が交易の為に訪れたり、漂流したりしていたらしいです。

なんと、島の北海岸を少しばかり内部に入ったところに墓所が今でも
あり、墓標には1777年(乾隆42年という中国の年号で書かれている)
に漂流した唐人の墓と書かれているらしいです。

これは知っている人はもう殆どいないのではないか、という位
実は貴重な史跡で、僕も行った事はないので
今度時間を見つけて行こうかなと思います。

写真撮れたら撮ってきます。タケさんといこーかなー。

ちなみに、小浜島の北側の海にはオランダ口というダイビングスポットもあり
これは、オランダ人がやはりここで漂流してやってきた(小浜島に
着いた時は既にお亡くなりになっていたというお話だった気がします
が定かではありません)
ことに由来するみたいです。

オランダは鎖国時代の日本で唯一、交流があった国で、長崎の出島にのみ
オランダは上陸して良かったのですが途中で琉球に寄ることがあったのでしょう。

ちなみに隣の石垣島に唐人墓というちょっとした観光スポットになっている
所がありますが、多分ガイドブックには書いてないあまりにも悲惨なストーリーがあります。

詳細はWIKIPEDIAを見ていただいた方が良いですが、
この唐人というのは、実は西洋人の奴隷にされてしまった中国の方々で(苦力と言います)
その支配から逃れようと逃げて石垣に漂流しました。

しかし最終的には西洋人たちに見つかってしまって皆、処罰されてしまった方々のお墓なのです。

それを手厚く対処して立派な、しかも、彼らの文化に沿った様なお墓を
建立してあげた当時の石垣島の方々。

このお墓や小浜にあるお墓から
昔の八重山の方々の
人間らしい優しい人格が垣間見えます。

しかし、なぜ琉球の方々や、日本本土の方々が奴隷にならずに済んだのか・・・
などと考えると、現在の幸せは先人達の努力の結果に過ぎない気がします。
歴史の上に今の人間が存在しているのだな、と感じずにはいれません。

小浜島と海外。

目の前の海で隔たれているのではなく、

「目の前の海で繋がっている」

のだと思いました。