本質と進化

2015年7月15日

こんにちは、進化もしたいアラキングです。
今日は、笑いの要素は一切なしですが
たまにはいいですよね。

どうかお楽しみ下さい。

例えば、東京の会社員の方が
「明日、無人島行くんだ。カヤックで」なんて急に言ったら
大体は憧れと賞賛と少しの奇異な眼差しで見られるだろう。

先日、私は無人島に行ってきた、カヤックで。

こう書くと何かとんでもないアドベンチャーを成し遂げたような感じになるが
実際は小浜島からわずか20分も漕げば無人島に着く。

しかし、この20分間で信じられないほど綺麗な海を舐めるように進むうちに
サンゴ、魚、波、風、島、鳥、月など
まさに日本の自然の風流の代名詞である「花鳥風月」の海バージョンと表現したら良いような
自然を味わうことが出来る。

八重山の自然に限ったことではないが
本当に美しい自然に出会ったときに
単純に「綺麗で美しいなぁ」と、こちらが能動的に捉えるのでは無く
圧倒的な自然から一体感みたいなエネルギーが発せられていて
それを受動し自分がその一部になれていて嬉しい、という感覚になれる。

何故今回カヤックをチョイスしたかと言うと、
日々の生活の中で
あらゆることが便利になり、より速く、より簡単に、ということを追求した結果
その合間にあったはずの
プロセスは余計なものと位置づけてしまいがちな自分に気がついているからだ。

もちろん、私は便利な社会を批判している訳ではない。
毎日スマートフォン片手に浴びるほどの便利さを享受している。

ただ、スマートフォン等の
機能の充実化と比べたら人間の充実化が全く追いついてないのではないかと思っている。
いや、追いついていないというのは正しくない、人間の充実というのは心の問題でもあるので
便利さとは=になり得ないのかもしれない。

要するに飛行機は便利だが、徒歩で行くことによる苦労、出会い、経験を削いでしまうことにも
なるという話であろう。

カヤックは二人乗りだったので近所の友達と行くことになった。
釣竿やシュノーケルセット、コーラに寿司、など好きなものを何でも
詰めてカヤックで無人島に出発した。

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無人島に着くまでに、様々な話を友人とした。
それは主に海にまつわることであったが
このうねりだとあそこは危険だとかこの風が南から吹いているからこちらは安全だとか
そういう、類いのものだ。

エンジンつきの船だったら訳の無い所でもカヤックだと危険も増すし
時間もかかる上に最悪、行けないという判断もしなくてはならない。

それを補えるのは手漕ぎの船で海に対応する経験と体力と判断力を持ったものだけだ。
もちろん私にはそのスキルは無い。

ふと、私は現代の便利さを追求した結果、失ったものを知ったときに人間はどういう行動をするのか考えてみたくなった。

きっと、それを取り戻す努力をするタイプと、その失ったものは不必要だから
無くなったのだと切捨て新たな問題に対処するタイプと二種類に分かれるのかもしれない。

前者がいなければ本質を失い、後者がいなければ進化を失う。

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ひとしきり遊んだ後、妖しい積乱雲が小浜島の方から立ち上っていたので
早々に引き返すことにした。

あと10分で小浜島という所で、ほとんど冗談で投げたルアーに魚がヒットしてしまい
その魚が根に入り全く抜けなくなってしまった。

友人に竿をあずけ私がカヤックで魚の上まで漕ぐことになった。

途中、友人のオールがカヤックのすぐ横の海に落ちていたので
取るために体を傾けた瞬間、カヤックは安定性を失い、容易くひっくり返りそうになった。

グラグラと左右に揺れるカヤックを大人二人がバランスをとり鎮める作業は
スリリングさに溢れていた。

友人に軽く叱られながらなんとか体勢を整えた。

ようやく魚を根から引き抜き、帰路につくことにしたが積乱雲につかまってしまい
豪雨が降ってきた。眼の前が全く見えなくなってしまい、耳から入る音は全て雨が海にぶつかる
音になった。

五感の内、二つが雨に塗りつぶされた。

恐怖心を失くすためには五感を満たす必要があるので

大声で友人と「岸が見えるか!」「何にも見えない!」と聴覚を満たし、
視覚は船の先端を見ることで補った。

ようやく岸に着いたときは二人で爆笑に近い笑い声で笑いあった。
ヘラヘラではなく「ギャー」という笑い声で。

10分早ければ積乱雲にぶつかることはなかった。
魚と格闘していたから積乱雲とぶつかったのだ。

積乱雲は魚からのプレゼントだった。

小浜島に着いたときはもう晴天になっていた。

疲弊した体で飲んだコーラは味覚を満足させるのに
充分で、積乱雲と出会わなければこんなに美味くもないかもなと思った。

それは一回、私が五感を雨に塗りつぶされたからだ。

先ほど二種類の人間がいると書いたが
そうではなく、本当は同じ人間の中に2つの衝動があり
それを日帯の生活の中でバランスよく繰り返して人間は生きてきたのかもしれない。


私は、主観だが、時代や進化の過程で失ったものを直視し、満足させ、新たな問題に
逃げずに対処するという行為のバランスが上手く取れる生き方をしたいと思った。

小浜島を含めた八重山旅行のテーマは人それぞれだが
自然との触れ合いがメインな方が多いように思う。
ダイビング、釣り、動物の引っ張る車で散策などなど・・・・・

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合間合間に人間の本質を感じられることがあって
自分の根っこにある姿に出会え、そういう意味でも「帰ってきたな」という
気持ちになれるから、今日もはいむるぶしは盛況なのだろう。

もし、日々の生活でバランスを崩している感じがしましたら
皆様もぜひ八重山に足を運んで、はいむるぶしのロビーコンサートの
重鎮であるつちだきくおさんの歌詞にもある通り
「便利とか早くとか、、、なんだろうねぇ」と感じてみてはいかがでしょうか?

もし宜しければ下のリンクからカヤックツアーを申し込んでみてはいかがでしょうか。
お勧めですよ。


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PS 前回のブログの拍手コメントでアラキングさんは大学は文学部でしたか?という質問を頂きました。はい!私は東京の大学の文学部哲学科に在籍しておりましたよ~。