小浜島のお盆 レポートBYアラキング 第2部

2014年9月17日

どうもこんにちは。
アラキングです。
前回の続きです。未読の方は読んでいただけると
大変嬉しいですが長いので、眠くないときに、時間が有るときに
読んでください☆

小浜島のお盆 レポートBYアラキング


翌日は、ご先祖様をお送りする日だ。
前日同様、ニムチャーニンズ(念仏人衆)が各戸を
廻る。

深夜12時にはご先祖様達が天上へ帰っていくので
お盆を巡っている方々は一回11時頃に
解散して個々の家に帰るようだ。

しかしこれで終わらないのが小浜島のお盆のすごい所だ。
ご先祖様をお見送りしたら、今度は現世に生きるご老人達への
健康祈願を夜通し行う。

前日三時過ぎまで踊り歌い、朝から準備などをした後
さらに
夜通し朝まで踊り歌い続ける小浜の人々・・・・・・


一体いつ寝ているのか?という疑問と
体を限界まで駆使し行う
「健康祈願」・・・・・・・


「寝たほうが良いんじゃないの・・・・?健康祈願で体を
不健康にしていたら本末転倒じゃないか・・・・・」

等と思わざるを得ないが、野暮とも言うべき考えなのかもしれない。

小浜島の文化は、日本中が、いや世界中が飲み込まれていった
文明の発展と共に あらゆる物事の
簡素化、非効率なものの排除、という荒波を見事かわし
現代でも脈々と受け継がれている。

小浜のお盆は日本の重要無形民俗文化財にも指定された。

伝統の重みは時にはそこに暮らす人々の
負担にもなるのだが
なぜ小浜島の文化は文化破壊の
荒波をかわし続けることが出来ているのだろうか。

そして最終日・・・・・・

「楽しいことがおきるから
朝の六時くらいに構造センターまで来たらいいよ」

友人に誘われて、眠いなぁなんて思いながら
「楽しいこと」
というキーワードに呼ばれてしまうように
早朝五時半にはセンターに着いてしまった。
「まさか、本当に徹夜で踊り歌い続けているとは・・・・」

目は血走り、顔は血の循環が滞っているのか、やや黒ずんで見える。
そして目や口元の下がり方は、それらを支える筋力の
低下を物語っていた。

しかし、それでも前へ前へ進む姿がそこにはある。

眠らないという選択をした
彼らは、その辛い思いを皆で共有することにより
俗人は触れてはいけない、アンタッチャブルな集団へと
様変わりしているように感じた。

もちろん、僕はぐっすり寝た俗人だ。
この贖罪意識がさらに彼らを神聖なものに見せる。



前日までの白いタオルから今度は赤いモノに変わっていた。
これはご先祖様への供養なのか、現代を生きる方々への祈願なのか
で変わるのだと言う。

しばらく踊り続けた後、皆が歩き出した。

クバ扇を右手に持ち、両手で何かを招くように踊りながら
進んでいった。

ここは一本道だ。

僕はゆっくり集団に邪魔にならないように
ついていく。

しばらく進むと何かの音が遠くから聞こえてきた。
最初は耳鳴り程度だったが
こちら側が鳴らす音では隠し切れないくらい
大きくなってくる。

目線を音の鳴るほうへ向ける。


「北村の集団だ・・・・・」

行進を続けるたびに
音の混じりあいが増え
遂には
同じくらいの音量が耳に入るようになってしまった。

北村の集団と南村の集団が遂にぶつかったのだ。

何が起こるのか。

白髪のご老人達がそのぶつかった集団を見張るように
側に立ち
演奏をしていた人々は南北で対峙するように向かいあい
立てひざをついた。

女装した笛を吹く男は南北共に立ったままだ。

そして、手招きをしながら踊っていた集団は
演奏する人々を囲むように動き出す。

無秩序に見える動きの中から実に美しい
輪が出来た瞬間、それは始まった。


今までの演奏の何十倍とも言えるボリュームで
南北交互にそれぞれの歌を奏でる。

踊る人たちは反時計回りにぐるぐる回りながら
踊り、演奏や歌に負けないように大きな掛け声をだす。

演奏している彼らの表情を覗き込むと
あっと声を張り上げそうになった。

いつもの友達の顔では全く無い。

先ほどまでダランと下がっていた目じりは
キツネのように吊り上り
顔はピンクに高揚し、歌声は怒号に聞こえる
瞬間すらある。

怖いほどに。

そしてお互に対峙しながらの
演奏は音楽の格闘を見ているようだ。

三線は普段の癒しの音色では無く
戦いを支える重要な武器になり
鳴らす太鼓はリズムに心拍数を
合わせてしまうとどこまでも高鳴ってしまいそうになる。

踊る人々は個人を目線で追っかけなければ
視界に次々に現れては消え
「個」を失い、情景に溶け出す。
一つのもの、例えるなら土星の輪っかのようにも見える。

演奏は時と共に益々の熱を帯びてきている。
互いの迫力に飲み込まれぬようにするには
さらなる迫力が必要なのだと知る。


ふと、小浜島の文化が何故色形を変えぬまま
何百年も前から
現代まで継続されてきたのか、わかった気がした。

雄と雌、晴れと雨、朝と
夜があるように、森羅万象には陰と陽がある。

陰と陽は明確に区別出来るが
どちらに優劣があるわけでは無く
どちらもどちらを支えあい微妙なバランスを保ちながら
共存している。

集落を敢えて北と南に分け
対峙することにより、お互いに
競うように争い、刺激しあい、しかし、いざと言うときには
結びつくという、関係を作ることにより
集落そのものを強固にすることに成功したのだと思った。


小浜島の先人は
対峙は争いも生むが、発展にも繋がることを
知っていたのだろう。



怒涛にうねり、激しかった音は
引き波のように徐々に静かになっていった。

立てひざをつき演奏をしていた
方々が立ち上がり
北村と南村の競演は終わった。

そして北村と南村の会長、公民館長の三名が
方言でご先祖様の加護を祈りご老人の健康を願い
盆行事を遂行した皆に感謝の気持ちを述べ、解散となる。

自分の生まれ育った島の文化が続くことは
島の安定した繁栄を意味する。

それを目の前にしたご先祖様やご老人達の
安寧とした気持ちは如何ほどか。


気がついたら鳥の鳴き声が聞こえるほどの静けさを取り戻していた。

限りなく純朴な毎日の生活が始まる。

足元にクバ扇の破片が落ちていた。
僕はそれを拾い、こっそり自分のポケットにしまった。