小浜島のお盆 レポートBYアラキング

2014年8月25日

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自分の影が見えるのではないかと
思うほど外は明るい。

そうか、今日は満月なんだな。

なんだか胸がゾワゾワする。

「そこ」に行けば何か「楽しいこと」がありそうな
気がする。

しかし、遊びではない。見世物ではない。
出店があるわけでもないし
観光客を誘致しているわけでは全く無い。

「楽しいからおいでよ」

そう、島出身の友達に誘われてはいたが、
他人の一族の墓参りに
誘われている感覚と言えば伝わるだろうか、

無作法な僕が行って不愉快になる人がいては
嫌だなという思いもあり、
喜んで足を運べないような感覚が
邪魔をして小浜島に引っ越してきて
約10年、見ることが無かった。

小浜島のお盆。

しかし今年は、ふと
「遠くから見る分には問題ないだろう」

という気持ちが何故か勝ち、シャワーを浴び
自分なりに身を清めてからバイクで集落まで向かった。

集落にたどり着くと、妖艶な月光に照らされた、赤がわら。
いつもと違う雰囲気にある種の居心地の悪さを感じる。

自分が呼ばれていない所にはなるべく顔を出したくない。

「やっぱり帰ろうか」

ふと頭をよぎる邪念。

しかし、少しの勇気を出し
バイクを進める。

静寂の中聞こえるのはドドドド、と、バイクのエンジン音のみだった。
その音はとてもこの雰囲気の中では異質で、すぐに歩こうと
決意しバイクを適当な位置に駐車した。

それはすぐに聞こえてきた。

ドンドンドン ピ~ピ~
太鼓と笛の音だ。そして歌声も聞こえる。

元来、お祭りや音、踊り、歌が大好きな僕の
テンションも否応にも高まってしまい早くも踊りたい衝動に
駆られてしまった。

音のなるほうへなるほうへ向かうと
民家の庭で大勢が踊り歌い笑い、叩き奏でていた。

小浜島のお盆はソーラと言い、旧暦の7月13日から15日を中心に
行われる。

本集落は実は北村と南村に明確に区分されており、
それぞれが競い合うように、儀式や祭礼を別々に執り行う。

(南村のおじいさんの話によると、昔はその区別がさらに顕著で
学校が北村にあることから登校することすら嫌だったそうだ。)

ソーラも例外では無く、
北村と南村が別々に集団を形成して各家々を訪問する。

この集団のことをニムチャーニンズと言うらしく
念仏歌謡を演じる集団という意味だそうだ。

そしてお盆の3日間仏壇のある家々を訪問し
芸能を吟じ、祖霊をもてなす。

小浜のお盆は、祖先の霊を慰める家祭祀と
高齢者の健康と長寿を祝福する
村祭祀両方の性格を持つものだと言う。

石垣島では、盆と言えばアンガマーが有名だ。

しかし、石垣は広すぎるのでさすがに
全戸を周るわけには行かず、希望者の家のみ
アンガマーは訪れる。

しかし、小浜は違う。

もちろん、断ることもできるが基本的には全部の仏壇のある家を
このニムチャーニンズが巡ってくる。

ご先祖様もさぞかし喜んでいることだろう。

家を訪問したときに
最初ぐるぐると笛吹きを先頭に庭を大勢で踊りながら回るのだが
これは踊念仏と呼ばれるものだ。


踊念仏と言えば、確かに盆踊りの代名詞のようになっているが
今の盆踊りは、大衆的な要素が強まり、念仏感は薄れているように
見える。もちろんどちらが良い悪いの話しではないが
小浜島のは、やはり伝統的な要素が強い。

「お、来てたの?次は一緒に踊ろうよ!」

しまった。踊り終わって家を出てきた
友人にみつかってしまった。
そりゃそうだ、この時家の外から、見ていたギャラリーは
僕を含めて3人だけだったのだから。

「いや、いいよ。なんか恥ずかしいだろ」

こんなこと言ったら、恥ずかしいことをやっているんだよ君達は。
という意味で捉えてしまうかな?もうちょい言葉を選べばよかったかな。

なんて思っていたが、友人は
「ふ~ん」
なんて言って僕の横を歩きながら次の家に向かってくれた。

ある種の気まずさを隠すように次々に友人に質問を浴びせた。

あの念仏踊りは50何番まで実は歌詞があるが
今は20番ちょっとしかやってないということ、
家の前で繰り広げられる踊りは、基本的に進行役
が家主とどんな踊りをやるかその場で決めて
ほとんど即興で演奏、踊りを繰り広げていること、
北村と南部落の音がたまたま近づいたら
全力で掛け声や演奏をして、対抗意識を燃やすこと、

とにかく驚きの連続だった。

中でも、演目が決められていることはなく
その場で家の人を中心に踊りたい人が踊り、それでもばっちり
演奏も踊りも即興で(覚えているので)出来てしまうのは
やはり小浜島は芸能の島なのだと
感じざるを得なかった。

日々の暮らしの中に、脈々と受け継いだ
踊りや歌があってそれと共に生きていくこと。

僕は残念ながらそういう文化では育たなかったので
とても羨ましくもあり、また、やはり
伝統、文化以外で遠い過去から遠い未来まで
人と人とを繋げることは
あまり無いのでは無いかと思った。


次の家に着く。

最初に、ターバサーと呼ばれる島の
理事の方が小浜島の方言で「念仏集団は私達でございます。焼香しに来ました」
という意味の挨拶を仏壇にする。

そしたら笛のリードがあり、あの念仏踊り(ソーラブンドゥル)が始まる。
ぐるぐると庭を回り出した集団を見ると友達が
「こっちに来い」
という顔で手招きしていた。

皆、着物(コーサン)を身につけ頭に白のタオルを前結びにして
踊っている中、我が身を振り返ると
汚いパンクバンドのTシャツ(穴も開いてるし、染みもひどい)
にサンエーで買った安物のサーフパンツ。
そして肩からは雨合羽の入ったビニールのバッグを下げていた・・・・

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僕は人より自意識が高いのが欠点だ。
自分がこう見られたらどうしようとか考えて
足踏みをしてしまい前に進めないことが多い。

こんな格好で皆のご先祖様の前で踊る!?

いやいやいや無理だろう。

しかし友人はそんな僕の気質を
知ってか知らぬか、にこっと笑い
僕の為に踊るスペースを空けたのだった。

これは・・・・・

行くしかないな。やれやれ。

恥ずかしい気持ちで一杯だが
そのままビニールバックを背負ったまま

着物の男
着物の男
着物の男
着物の男
着物の男
着物の男
ビニールバッグの男
と言った順番でぐるぐる庭を回った。

もう、ここまできたら開き直るしかないや。

踊り自体はとても簡単ですぐに
覚えることが出来た。

何週か周るうちに、
こんな大人数で輪になって踊ることって
あまり無いな、と考えているうちに口元がニヤニヤして
きている。


ぐるぐる同じところを回ることに何かしらの
一体感を感じ、末端ながらその仲間に加えさせてもらったこと
に喜びすら感じてきてしまった。

今まで参加しなかったが遂に参加出来た
喜びももちろん混じっている。

しかも、誰かの大事なご先祖様が見ている


これは・・・いいかも!

僕は嬉しい気持ちを隠し、無表情で
ぐるぐるぐるぐる周っていた。

激しい動きでは全く無いのだが
異様なほど風が無く
湿気と熱気が僕を包み
汗が零れ落ちる。

踊り終わったら、しばし待った後
家の人やその親族等が踊り出す。

鳩間節、繁盛節、安里屋ユンタ、その他知らないような
楽曲が盛りだくさんだ。

そして最後は、モーヤ(カチャーシー)で閉めて
一軒終わりだ。

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大体一軒あたり30分くらいかかりこれを15軒ほど周るそうだ。

何件も周るうちに時計の針は朝の3時半を過ぎていた・・・・・・

「また明日も来たら良いよ」

翌日はご先祖様を送る日でウクリと呼ばれる。
夕方6時くらいから始まりまたニムチャーを
繰り返し11時には終わるそうだ。


最後の家が終わりかけたので、僕は興奮冷めやらぬまま
家路につくことにした。

月明かりが赤がわらを妖艶に照らし出す。

その赤がわらは来た時に見たものより
何十倍も綺麗に見えた。

第一部完