八重山手帳

2011年12月10日

波平です。

今回のブログは八重山手帳について書きたいと思います。

八重山手帳とはやいま等の雑誌を出版している南山舎さんという

出版社が発行している手帳です。

普段あまり手帳は持たないんですが、なんとなく本屋で手に取り後ろの方に

載っている八重山情報をペラペラしていたら突然、えっ!!という文章が

目に飛び込んできました。それは、八重山の歴史年表のところで、

1639年 波照間で南蛮船漂着して一幼女を掠奪し去る

ら、拉致じゃないですか!!漂着しておいて拉致して去るって。

一応400年位前の出来事ですけど。凄い年表だなと思い、もう少し進んでみると

1697年 異国船、川平大兼久に漂着し介抱人に暴行を加えた為斬り殺される

また、凄いの来たなと思い、取り合えず、手帳を購入し、ゆっくり読もうと帰りました。

折角なので、面白いと思ったものをいくつか並べてみます。

1500年 オヤケアカハチの乱・・・八重山で最初で最後の乱です。

1624年 南蛮船冨埼沖の漂着。石垣永将食料を供給し等宣教師からキリスト教
      を伝授され、その後処刑される・・・えっ!なんで?

1905年 宮古久松五漁師バルチック艦隊状況を八重山局に報告する・・・漁師がバルチック艦隊?完全に?

以上、まだまだありますが、くどいので。

歴史の年表みておもしろいと思ったのが暦が日本のと中国の両方載っている事です。

まあ、確かに薩摩藩に攻められ、琉球処分が行われるまでずっと、日本と中国の

両方に属しいていたいう、稀に無い歴史があるこので、中国無しでは語れないという事ですね。

内容の濃い年表を見終えて、その後、八重山の統計データ等を見ていたらまたまた凄い文字が。

その文字は、長州力。

あっ、兄貴!!!!どうしたんですか?こんな所でと思ったら、竹富町の観光大使みたいです。

6年住んでるけど知りませんでした。人選が渋すぎて、更に竹富町が好きになりました。

もう一人はロッテの成瀬投手。これはキャンプを石垣でしているから分かりますが。

力兄さんはどうゆう経路で決まったか知りたいですね。若い人に知名度はあまり高く無いですが、

インパクトの強さは日本有数ですね。力兄さん、今度是非はいむるぶしに遊びに来てください!!

手帳の機能としては、文句ないです。毎日何かの八重山の過去の出来事が載っていて

八重山病患者にはもってこいですね。

まだまだありますが、この辺で。最後に手帳に載っている一句

師走とは名ばかり島の陽気かな

八重山っぽい一句ですね。

それでは皆さん、また次回まで。