小浜島と国旗

2013年11月13日

皆様こんにちは、ライジングサン・アラキングです。

去る、9月30日から10月2日まで小浜島で結願祭が
ありました。

結願祭を含む小浜島の芸能は平成6年12月に文化庁から国の
「重要無形文化財」に選抜され、島では伝統文化を粛々と毎年
行っております。

結願祭は村の守護神に対して農作物が豊作であること、村人が健康であること
そして村が弥栄であることを感謝して、向こう一年の予祝を込めて
神様に舞踊を奉納するのだそうです。

そもそも郷土に対する愛というのは
伝統・文化に自然に親しむうちに
外部からの押し付けではないじんわりとした
あくまで自然なものとして自分の内側から形成されるようです。

そして島人やその仲間達はこのお祭りを通して
現在の島との一体感、仲間との一体感、つまり「空間的」な一体感を
強固にしているように感じました。


一方いつ発祥したかわからない程、悠久な
時間を経て現在でも行われているので何代も何代も
続いている、という変えられない事実が、その行事に
重みをつけ、先人達への畏怖の念を生み、その「時間的」な一体感の縦軸と
先ほどの横軸で結ばれ、小浜島の人達は
島への「誇り」を内包するようになるのだと思いました。

さて、この写真をご覧ください。

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小浜島では南部落、北部落と二つが合わさって
本集落を形成しています。

その南部落の旗です。大正12年1923年に作成されました。
見事な日本国旗が描かれています。

先日、仲良くさせていただいてる小浜島のご老人の
方に色々お話を伺っていたら、この旗にまつわる大変面白い
エピソードを聞いたのでご紹介。

沖縄は先の大戦後の1945年から1972年の5月15日まで
アメリカに統治されていました。

たった40年ほど前までは、パスポートが無いと行けない島でした。

その統治時代、「日本の国旗を部落の旗に描いていたら、アメリカの
人達に睨まれてしまうかもしれない。何をされるかわかったもんじゃない・・・」

そう考えた島の人は、日本の国旗の部分をペンキか何かで
真っ黒く塗りつぶしてしまいました。

その部分は代わりに、なんと星条旗を思わす星が描かれました。

しかし、日の丸を描いた旗は沖縄中探しても無いようで
こんな立派な旗をこのままにしておくわけにはいかないと、
まだアメリカ統治中に
島人からの寄付などから30万円(大卒の初任給が2万円程度の時代です)
も工面して本島に持って行き
染め直したようです。

当時の小浜島の方達の、とても筆舌に尽くしがたい国家に対しての
複雑な気持ちが想像できます。

「日本人で本当に良かったさぁ」

染め直された、その旗は再び南部落を象徴する旗として
再び生まれ変わり今でも輝きを放っています。

島人の輝きは、伝統・文化に裏付けられている
ものなのだと結願祭を見て感じました。

来年もまた、見に行って元気を貰いたいと思います。